北宇智のスイッチバック??
SL時代、SLが非力だったとはいえ、なぜ北宇智あたりにスイッチバックが必要だったのか?? よくわからず・・・調べてたら見つけたサイト! http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/index.htm
急斜面の登坂のためだけのスイッチバックではなさそうな感じだということはわかったが やはり なぜ北宇智駅をスイッチバック構造にする必要があったのか?この部分の疑問を払拭できない。 おさらいも含めてスイッチバックとはなにか?さらに調べてみた! http://www.toretabi.jp/history/vol10/01.html
http://www.geocities.jp/ku3gururi/rj1/kitauchi.htm 往時の北宇智のスイッチバックの様子が載っている
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/・・・/ques・・・/q1395174478 注目点はこの一点: 北宇智駅の前後は丘陵地帯の中を通っていて駅を設置する適当な場所が無かったこと、北宇智駅周辺のみが開けていること、北宇智駅を設置しないと駅間距離が10kmと長くなってしまうこと、といった要因があったため、勾配(20パーミル)の途中ですがスイッチバックを採用して北宇智駅を開設したようです。
この2つのサイトで 自分が勾配を勘違いしてたことがわかった! (薬水から五条への勾配のためではなく、五条から薬水への上りのためのだという) が、北宇智の駅の位置・コースの件が疑問なのではなく、なぜスイッチバックを北宇智駅に設置なのか?ということなんだが・・・ 20パーミルという勾配を一気に登れないほど SLって非力だったのか??引上げ線が水平ならそこに駅舎たてるだけですんだのでは?
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/kitauchi.htm それにしても、この北宇智のスイッチバックは、ある意味で「現代の奇跡」とも言える。
その後 いろいろ調べて https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A http://www.hitoyoshi-hikari.com/hisatu2009/eki.html その設置出来る平坦な土地(勾配があれば蒸気機関車は再起動できない) この部分重要!!
重坂峠越えの路線が可能であったら、あるいは北宇智でなくてもいいのなら この辺(三在付近)でも 水平地確保できた可能性はあるかな? まあ そんな与太話はいいとして
知りたいことは、「なぜ北宇智にスイッチバックが必要だったか?」の一点! 吉野口-北宇智と 五条-北宇智の勾配を調べてみた。 皆様に便利にご利用して頂くために、駅データ.jpでは駅の標高(海抜)データを補完します。データ更新のご協力をお願いいたします!
各駅8の標高Dataを拾ってみた
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スイッチバックの 下り線 ビデオです(07.3.16廃止直前に撮影)
そんなもやもやを払拭するために 現地に赴いてみた!
その時の写真! スマホの調子が悪くてあまり画像は撮れていませんが^^
左が吉野口方面を望んだ画像、右が五条方面を望んだ画像!!
右画像の建物は 旧駅舎の手前に建てられた トイレです。
このトイレの奥に 旧駅舎があり、往時はこの上に線路が設置されていました。
この線路と五条に向かっている線路を段差はかなりあります。
北、吉野口方面向かう登り勾配は、この左画像のかなり先から始まっています。
諸事情はあったのだとは思いますが・・・・。
自分としての勝手な結論ですが 下記なようなことではなかったのかな?という結論でほぼ納得です。
私の推測が 間違っているのかもsれないけれど いまのところこれ以上の納得のいく推測がない(笑)
旧線路配置と 新ホーム位置!
多分ですが 踏切になってる場所あたりになら 駅構内複線での設置はできたのではないだろうか?
北宇智駅でなら 五条側より 吉野口方向のほうが平地が伸びてる!
踏切になってる道路は 線路設置以前からあったもんだろうし・・・
(踏切は画像は説明図で見てるはずなのに、気づいてなかったw 位置関係がわかっていなかったんだろうなw)
周囲の民家等から考えて(線路設置当時の配置は不明だけど)この踏切の生活道路をどちらかに迂回させることは難しかったように思います。
駅構内を生活道路が横断させるわけにもいかなかったであろうし!
だからスイッチバックで駅構内を五条よりに下げるしかなかったのではないかと^^推察!
現在の旧駅舎の様子を2枚!
ちょい参考に!北宇智の写真がいろいろ