橿原神宮界隈w
今昔Map:時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
左側の地図は1922~23年の地図です。洞村が現大久保町に移転させられての直後の地図でしょうか?(スマホなどでは上下に割れてると思います)
綏靖天皇陵の真横というか端っこをかすめるように当時の大軌畝傍支線(現橿原線)が通っています。洞村が神武天皇陵の上にある(畝傍山の山裾で標高的に上)というだけで「見下ろすなどけしからん」と移転させられています。
詳細位置は 1892~1910の地図に変更して確認ください。
旧橿原神宮駅はいまの 橿原球場西側あたりになるでしょうか!!大鳥居の真東!
神宮参拝には最適の位置ではあったろう!
現南大阪線-吉野線部の旧吉野鉄道を諸々の経緯の末、近鉄が吸収しています。
橿原神宮駅移転(橿原線の架替え)時に神武御陵前駅は現畝傍御陵前駅に移動新設されます。
畝傍御陵前駅をWikiで拾ってみると、旧橿原線では神宮-御陵前間は現八木-西口間ほどの距離しかなかったのかww 新設だとばかり思ってた。
- 1923年(大正12年)3月21日 - 大阪電気軌道畝傍線(現在の橿原線)平端 - 橿原神宮前(初代)間の開通時に畝火山駅として開業[1][2][3]。
- 1924年(大正13年)11月 - 畝傍山駅に改称[3][4]。
- 1937年(昭和12年)3月 - 神武御陵前駅に改称[4]。
- 1939年(昭和14年)7月28日 - 八木西口 - 橿原神宮前(初代)間が、八木西口 - 橿原神宮駅(久米寺から改称、現在の橿原神宮前駅(2代目))間の新線に切り替えられたため、新線上の現在地に移動し、畝傍御陵前駅に改称[2][3]。当駅から橿原神宮駅駅まで並行することになる吉野線(1941年に当該区間は小房線と改称)にも駅が設けられる[4]。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 参宮急行電鉄との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる[2]。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により、近畿日本鉄道の駅となる[2]。
- 1945年(昭和20年)6月1日 - 小房線の旅客営業休止[4]。
- 1950年(昭和25年)7月1日 - 小房線休止
小房線として国鉄畝傍駅-近鉄畝傍御陵前間を残しますが、現在はこの線も廃線。
1890年(明治23年)に橿原神宮は創建されています。
この創建で畝傍山周辺は現在の姿にごそっと変えられたということになります。
洞村の移転、橿原線の路線架替え、橿原神宮駅の移転新設、国鉄畝傍駅まで行ってた吉野線が 小房線として一部を残して閉鎖等々。
神武天皇陵にいたっては 江戸時代までは周辺は牛馬等の糞尿置き場として使用されてた土地でしかないというのにw
神武天皇墓としては 丸山宮址のほうが正解だという説は根強いようだ