蛇穴:野口神社
此処の「汁かけ祭り」は行ったことはない! だが奇祭として時たまTVやクイズで紹介されることがある。
地名の難読さは、あまりに難しくてクイズに出たのを見たこともない。
個人的に見知ってる中では 兵庫なのか京都なのか忘れたが「間人(たいざ)」と二大難読地名だと思ってる。
京終、吉隠、外山などなどの奈良やその他でも難読地名はいろいろあるが、読みの手がかりさえ、読みのよすがさえ見えないのがこの二つ!(あちきの知らないほかの地名はあるにはあるだろうがw)
拝殿
本殿
由緒書きのテキスト抽出はしてあるが((いたづらなのか下の文字が流れて判読不明な部分もあって、補足はできるのだが)中途半端に編集したのよりはと思い ・・・こちらのサイトの紹介を!
https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001398.html
蛇穴村には古くから竜神信仰があり、神社の南西に年中絶えることのない湧水が下流の村の灌漑用水として大切に活用されてきました。当社はこの湧水の守り神として奉斎されたと伝えられています。
当村では毎年5月5日の例祭に、藁で14メートル余りの大蛇を作り村の各戸を廻り家々の邪気を払い巡行後、神社へ奉納する「蛇綱曳き」の神事が行われている。この行事は豊稔、水乞いの神事とも言われ、かつては「汁掛祭り」も行われていたが、現在は止められています。この祭事の由来について、茅原郷から蛇穴の道を通り、雨の日も風の日も毎日葛城山へ修行に通う役行者がいました。河内からこの地に移住してきた茨田の長者のひとり娘がその行者に恋慕の情を抱きます。しかし、業に身を挺する者には、熱き恋心は届きませんでした。娘は女の情念から蛇身となって追いかけますが、折しも田植時期で村人が弁当を運んでいると大蛇が火を吹いていたので、驚き提げていた味噌汁をぶっかけ逃げ帰りました。そして村人と共にその場所へ行くと、大蛇は静かに傍らの井戸の中で身を潜めていたので、巨石でその井戸を覆ったという説話があります。
その場所が現在の野口神社の地と言われており、境内には井戸を模った石組みの蛇塚があります。その娘の霊を供養するために、この神事が始まったと伝えられています。
別の野口神社紹介のサイトでは
蛇穴(さらぎ)西南端に鎮座、神倭伊波礼比古命(神武天皇)・日子八井命を祀る旧無格社であるが、
縁起によると、神武天皇の御子日子八井命を祖とする吹田連の子孫が河内国からここに移住、租神を祀ったとみられる。神社西南の湧水は、蛇穴・玉手・芦原・寺田・本島の各町村の灌漑用水で、当社はこの水を守護する神として創祀されたものとみられる。毎年末前記各村から水年貢として一石六斗(現在金納)を神社へ納める。当社近くの野口家には暦応四年(1341)の地蔵石仏を安置する。
蛇綱引汁掛祭りは野口祭とも称し、蛇綱引きは約10メートルの稲藁の蛇体を作って村内各戸を巡り、最後に拝殿の蛇塚に納める。汁掛祭りは三斗三条三合の味噌にワカメを入れて汁を作り、これを参詣者にかける行事で悪魔退散の呪法として古来行われたが、今は行われていない。この行事に関しては大和高田市奥田の善教寺にある寛政七年(1795)の縁起にはこの行事と葛城鴨都味歯事代主命神社との関係を記している。
-奈良県史(神社)より-
サラギの読みなのだが・・・ この辺りは古くは帰化人の集落だったようなので・・・・あちきは 新羅(シラギ)のなまったものではないのか? とも思っている。
鳥居入口左にそびえるこの木は 多分カシ系だとは思うが 不明 イチイガシあたりだと思うのだがww
参考:
https://yamatotk.web.fc2.com/katuragi/nogutijinjya.htm
https://core.ac.uk/download/pdf/147853109.pdf