和爾下神社・柿本神社
12/15 五十日で免許更新の人出もすこしは少なかろうと 更新センターに出かけた。何のことはない コロナ禍で少ない人出!高齢者講習受けての更新だったからだが講習も何もなく 家出て移動時間も含めて2時間ちょいで更新完了。新しいのをいただきました。
予定してた時間よりかなり早く終わったので、早い昼飯食って 天理の柿本神社まで足を運ぶことに^^
ここは我が大字の神社の分詞とかではなく、同じ滞在地だと言う位置づけで祀られてるようです。
柿本人麻呂が和爾氏の傍系のようなので 出生地は此処でないとしてもこの近くが妥当なような気がする。(出生も終焉も正味不明の謎の歌人
明石、石見は 終焉の地との謂れのほうが強そうだし・・・・
現地近くには 和爾下神社の案内はあるのだが 柿本神社の案内はなくとりあえず 和爾下神社参拝してゆっくり探すかと・・・思ってたら 横の児童公園北側が柿本神社!
元々は この児童公園が柿本神社の境内だったのかも。いや、和爾下神社の摂社扱いならこの和邇下児童公園も和爾下神社の境内か!!
この図からだと摂社扱いではないようだ^^
和爾下神社参拝後 参拝道西の児童公園入り口に これは仁王像でないし 炎だから 毘沙門? 後で調べるかw
珍しい石の祠! 柿本神社となってるが 神社ならあっていはずの鳥居が見当たらないwww
和爾下神社の摂社扱いなのかな???
立派な人麻呂石像!! おらっちの神社にも欲しいくらいだww オイラにはそんな金はないwww
これが歌碑だと思うが読めるだけの 読解力はありません!!
人麻呂の和歌のなんらかが 蛙と関係してるのか不明だが 児童公園には いい雰囲気の蛙たちです。
入り口横の像を横目に 駐車位置に!!!
後背に炎、右手に剣、左に縄 不動明王だった(汗
GoogleMapでの画像だが・・・・
もう一度いって確かめないと・・・www
由緒書をじっくり読んだら・・・元々11世紀ころには この地図の寺跡にあったものが
室町期14~15世紀 小学校西に移転の後 明治期廃寺になってるってことかな??